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アメリカの小学校(5) [小学校]

ESOL(English for Speakers of Other Languages)について、その1
これはよく知られている母国語を英語としない人の為の英語の授業です。

このあたりの小学校ではたいていESOLのクラスが設けられています。
しかし、その充実度は様々です。せっかくアメリカに行くのだからと情報を集めてESOLの充実した学校の学区域に借家を探しました。

しかし、それは同時に息子の苦しい一年間の始まりにもなってしまいました。
ESOLの充実の度合いは宿題の量としても如実に現れます。
ちなみに4年生の息子は毎日2時間から3時間、下の一年生の娘は1時間から2時間、宿題が出ました。毎日、宿題が終わるとぐったりしていました。

教材は大人が使うESLの教科書と同じものを使っていました。
先生はとても厳しく、穴埋め問題でも、穴を埋める単語だけを書くことは許さず、問題を写させた上で答えを書かせます。問題の部分で一つでも単語が間違っていると,”Do again!”と書かれ、問題と答えを文章丸ごと書き直しさせます。

その先生の口癖は ”Do again! Practice, practice, practice!” でした。
いまどきの日本では塾では見かけても、学校では決して見かけないタイプの厳しい先生でした。

我が家は一年で帰国することが分かっていたので、日本の勉強もおろそかにすることはできず、息子は一日のうちまとまった時間を日本の勉強の継続に費やしていましたので、ESOLの宿題はすごい負担になりました。

最初の数ヶ月は、ESOLの宿題と慣れない学校生活、はかどらない日本の勉強のため、息子は息も絶え絶えでした。そして、多すぎる負担のため、飲み込みも悪く、勉強したことが身につかないという、「消化不良」を起こしていました。

しかし、最初の数ヶ月を過ぎた頃から、徐々にやり直し(Do again)の量も減り、同時に日本の勉強についても飲み込みが良くなってきました。そして、少しずつ、本を読んだり、文章を書いたり出来るようになりました。また宿題のおかげで、文法的なものも少し身に付けました。

しかし、振り返ってみると、3年など長期的にこちらに滞在する場合はこのようなESOLが充実した学校を選ぶことは大切ですが、我が家のような一年の場合では、ESOLの宿題が負担になるだけで、あまりメリットが無いような気がします。

また、ESOLがいいから、英語がはやく喋れるようになるわけでもないことも実感しました。ESOLは、正しい英語を読んだり書いたりするためにこそ必要であり、日常生活英語はまさに生活から身に付くものだとおもいました。


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寂しい部屋 [暮らし]

船便の第一回荷出し終了…
夫婦での徹夜作業の甲斐あって、無事荷物は午前中に搬出されました。

そして、引っ越し屋さんが帰って、すかすかになった部屋を見て

「あ~っ!今回、部屋の写真撮ってなかった~!」と気がついた。
今、すごく後悔しています。
なんで気がつかなかったんだろう…一年間もあったのに…
家の中の写真が一枚もない…

きょう、思い出に寂しい部屋の写真でも撮ります。

それから、さっき、家探しの人がうちを見に来ました。
次はどんな人が住むのでしょうか…


船便準備 [暮らし]

船便の第1回荷出しが間近です。
衣類はほぼ終了。でも雑貨が未だたくさんあって大変…

子供達に自分の文房具やおもちゃを箱詰めさせると、
いつの間にか思い出の物を見つけて夢中になって遊んでいるし…、

頼みの彼は、「先ずやることを整理して、残りの日程をきちっと調整しよう。
計画があった方が良いでしょう?」なんて言出すし…

もう日にちが迫っているのだから、目前の目標を目指して、
先ずやるのよ!先ず…とにかくやるのよ!とにかく…とつい怒ってしまいます。

明日は雑貨、あさっては残りを…この分だと大丈夫かな…
どのみち一年限りだったのでたいした荷物は無いのです。
そんなにカリカリしなくてもたぶん大丈夫!…と思いたい…

船便は7週間ぐらいで日本に着くそうです。
今月末に全部出すので、この荷物とは9月半ばまでさよならです。
無事に海を渡ってね、と言い聞かせながら箱に詰めます。

ところで、一昨日、お別れパーティーを家でやりました。
お友達からとっても良いアイデアを頂いて(有り難うございます!)
手巻き寿司パーティーをしました。
海苔とご飯と具を用意して自分で巻いて食べてもらうのです。
日本の家庭では定番の料理ですが、たぶんアメリカ人にとっては初経験となるはずです。

招待状を出したら、面白そうだと言ってくれて19人も集まりました。
中には生後6週間の子供と奥さんも連れて行きたいと言ってくれた人もいました。
もちろん赤ちゃんは食べませんでした。
その晩、うちの狭い居間はお客様で埋め尽くされました。

あらかじめ寿司と伝えておいたので、生ものや海苔がだめな人はいませんでした。
みんな楽しそうに好きな物を巻いてたくさん食べてくれました。

炊いたお米は24合、ほぼ無くなりました。
朝から頑張って寿司米を作ったかいがありました。
夫の実家で習った太巻きも出しました。甘いからでしょうが、女性に特に好評でした。
お友達から習ったスモークサーモンを使ったます寿司風押し寿司も好評でした。


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アメリカの小学校(4) [小学校]

学習についての日米比較

小学4年の息子はアメリカのクラスの算数はとてもよくできました。
でもこれは珍しいことではなくて、このあたりの来たばかりの日本人なら当たり前のことでした。なおかつ息子はアメリカでは学年を一年下げているのですから、なおさら当たり前です。

それもそのはず、4年生になるのにアメリカ人で九九を言える子は一割程度、
九九ができなければ割り算も、公約数もできません。従って、息子が5分で解く問題を現地のお子さんは30分かけて解くことになります。

では、こちらの算数の教育はレベルが低いのか…というと
私はそうではないと思いました。
実際、娘は一年生なのに分数や掛け算、立体図形についても勉強しました。

ではどこがちがうかというと、こちらでは主に概念を毎年繰り返し勉強します。その分、掛け算や割り算のスキルを身につけることには日本の様に時間をかけません。

例えば、統計について、グラフの種類、定義などをとても詳しく学びます。メジアン、モードなども小学校中学年で勉強します。日本ではあり得ません。息子の宿題の中には、大学の教科書で初めて出てくる言葉もありました。

理科においては、小学校低学年で原子が何でできているかを学びます。2年生の教室の廊下に化学記号とその原子が電子や中性子、陽子からできている原子軌道を子供達が書いた制作物が張ってあるのを見て本当に驚きました。これも日本ではあり得ません。日本では分子や元素を教えるのは小学校の高学年からで、化学記号も中学に入ってからです。

元素についても、植物についても、電気についても毎年少しずつ難易度を上げながら繰り返して学んで行きます。教科書は単元ごと(例えば「電気」や「植物」など)に先生が学びやすい教材を選んで子供に与えます。ですから日本の教科書よりずっと充実しています。

私は確かに日本の子供の方がスキルフルで、それはとても大切なことだけれど、アメリカから世界的に有名な学者や研究者が多く育つ素地はこのように概念を細かく正確に何度も繰り返し学びしっかりと身につけていく所にあるのではと思いました。

よく、アメリカでは「高校から急に数学が難しくなるのよね」という話を聞きます。このとき、スキルだけを学び、公式を暗記する日本式教育と概念をしっかり学び応用力を身につけるアメリカ式教育の差が出るのだと思います。

「技術立国日本」を謳うつもりなら、教育者はこのような点にも気をつけるべきだと思います。

ただし、子供の頭では元素や電気の仕組みを詳しく理解することは難しく、そこは先生の腕の見せ所で、こちらでは時には理解できずに残念ながら学年を下る子がでたり、クラス内で学力の差が大きく出来てしまったりしていることは確かです。全米統一のテストが予定されている場合は、あまり遅れた子供がでると補習クラスを設けたり、学校から家庭教師を紹介されたりすることもあります。

日本のようにほぼ全員が○○が出来るというわけにはいきません。でも、算数や理科ができない子は他に必ず強いところを持っています。だからそれはそれで良いと私は思います。むしろできるところを強く引っ張っていくアメリカ方式に私は強い魅力を感じました。

子供達も自分は何ができるかをよく知っていて、日本人からみると決して自慢できるほどではなくても、「自分は○○が得意だ」、と堂々と言います。また、先生や親もよく褒めます。一方、苦手な物があることを恥とも思っていません。全部できなきゃいけないとも思っていません。もちろん頑張らなくちゃとは思っています。

できる子を見ると、「こいつすごいぞー、みんな、見ろよー」と声が上がり子供が集まってきます。自信のある子は、それを見て自分こそ勝てるかも、とどんどんチャレンジしてきます。負けると悔しがりますが、すぐに気を取り直します。

どの子も自分に自信がある様に見えました。これをみて、全員をもれなく無難に育てることより、何かに自信を持って生き生きと学ぶ子供を育てる方が大切だと思いました。


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パールハーバー [小学校]

今年の春、4年生の息子から「歴史を学んでいる」と聞いて、いやな予感はしていましたが、ついにある日、第二次世界大戦、日米開戦の授業の日がやってきました。

なんたって、パールハーバーはこちらの教科書に「宣戦布告もないうちに日本にサプライズアタックされた」と書かれていました。とても卑怯な開戦方法として記載されています。色々な事情があったという説もありますが現在のところ、一般的にはこの表現通りです。

授業の後、いつも仲のいい、息子が大好きなアメリカ人の友だちさえ、その日はよそよそしく、「日本は嫌いだ!」とわれ、避けられたそうです。とても悲しそうでした。

じつは彼にはもう一人イタリア人の仲の良い友達がいます。彼はかなりお調子者の憎めないタイプのちゃっかり君ですから、アメリカ人の友達が歴史を良く知らないことをいいことに、「アメリカとイタリアは第二次世界大戦で仲間だったんだよ」と教え込んでいたそうで、息子は「ひどいよー」なんて言っていました。

少し心配しましたが、戦争の話が授業で終わって数日経ち、ほとぼりが冷めると、二人の関係はまた良くなりました。クラスの子から「リメンバー、パールハーバー」なんて言われちゃったらどうしよう、なんてちょっと心配しましたが、考えすぎでした。

ちなみに、教科書中の終戦に対しての記述は、「1945年に戦争は終わり、アメリカは(第一次世界大戦に続いて)再び、世界の他の国々と手を組み戦争に勝ちました。しかし、この戦争にはお金がかかり、約6000人のバージニア州民が命を落としました。」とあり、どのようなきっかけで開戦したかは詳細に書いてあっても、どのような手段で終戦に持ち込んだかについては一切書いてありませんでした。

もちろんこの戦争で初めて使われた新型爆弾(原爆)についても一切の記述はありません。開戦の様子が写真入りで詳しく書いてあっただけに、ちょっと肩すかしをされた気がしました。第二次世界大戦について語られているページは歴史の教科書の中で170ページ中たったの1ページで、その半分が開戦についての記述でした。友達が日本を嫌いになるのも無理無いと思いました。5年生になれば世界史が始まるので、もしかするともっと詳しく勉強するかもしれません。


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アメリカの小学校(3) [小学校]

サイン攻め

こちらはとにかく契約社会でことあるごとにサインを求められます。それは小学校においても同様です。まあ、スクールバス通学申請や規則書へのサインはあり得るとしても、その他の書類にサインを求められて驚いたことがあります。

一つは、遠足の時の同意書です。結局、子供を行かせることへの同意書なのですが、社会科見学や公園への遠足に行く前に必ず同意書にサインさせられます。その内容は、出先で参加する催しの種類、例えば水遊びはさせて良いか、計画された行動には全て参加させるかを聞かれます。

そしてさらに読み進むと、もしかして危険を伴う場合もあることを承知している、時にはそれが致命的であることも知っている上で子供を参加させます。と印刷されていて、その後に親がサインするところが用意されています。

驚きつつも、これって、ただの遠足よねえ、と思いながら、サインします。またご丁寧に、先生や付き添いの言うことをちゃんと聞きます。との文章の後に子供のサインを書き込む欄があります。「先生の言うことちゃんと聞くのよ!」と子供に言いながらサインさせます。

命の危険まで承知の上で参加させるだなんて…と思いましたが、クラスに中にこれを理由に参加を断る子供は見かけませんでした。

もう一つ驚いたのは、学習発表会に向けた同意書です。「この行事は強制ではなく参加を断ることもできることを知っています。また、作業は主に学校内で仕上げることをよくわかっていて、その上で子供を参加させます。」と言った意味の文章の後に親がサインをする欄があります。もちろん子供もサインします。

どちらの場合も、断る自由を保証していることを明確に表明し、あとは自己責任でと言うことでしょう。でも遠足についての書類は、命の保証はないと書いてある様にも受け取れ、ちょっと…と思いました。


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高速道路でのお楽しみ [子供]

やっと帰ってきました。
インターステイツ(高速道路)しめて2400kmのドライブ…
これだけ走って、通行料が1000円以下というのはアメリカならではです。
おまけに宿も一泊朝食付き4人で合わせて8000円ぐらい。
少し長旅になってもとっても安上がり!これだから車の旅はやめられません。

今回の長いドライブの間、娘はあることに熱中していました。
それは、お友達のママから教えてもらった大型トラックの運転手さんとのある遊び…

その方法とは…
高速道路での走行中にうちの車が長距離大型トラックを追い越すとき、娘は運転手さんに手を振ります。もし運転手さんが手を振り返してくれたなら、こちらのもの!娘は次の行動に出ます。

それは、片手を握り拳にして、あたかも上からぶら下がっているひもを引っ張るような仕草を繰り返します。実はこれ、長距離トラックが備えているひも状の警笛(ホーン)のスイッチを引っ張るまねなのです。

この娘のジェスチャーに運転手さんが応えてくれれば、運転手さんはひもを引っ張るか、ハンドルについているブザーを押して警笛を「プップッ」とならしてくれます。鳴らしてもらうと娘は大喜び!

長距離運転手さんはたいてい優しい人で、娘に気が付けば警笛を鳴らしてくれます。
今日は20回以上ならしてもらい、娘は大満足でした。

そういえば昔、息子が3歳だった頃、サウスカロライナに車で行った際、しばらくの間、うちの車は貨物列車と併走することになり、運転手さんに手を振ったら、運転手さんは何度となく警笛を鳴らしてくれ息子を楽しませてくれました。

子供には本当に優しい国です。

これが今日の高速道路の様子です。

こちらは行きがけにみた夕焼けです。

果てしなく畑が広がる向こうの地平線は上手く見えなかったけれど、
アパラチアン山脈の向こう側のなだらかな風景は見ることができたので満足です。


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The“ヘンリー・フォード”を訪ねて [風物]

デトロイトに行って、フォードの創始者ヘンリー・フォードのテーマパークとフォードの工場見学に行ってきました。

フォードがベルトコンベヤーを使った機械生産のオートメーション化を始めた人だとは恥ずかしながら、今日まで知りませんでした。大量生産、大量消費の原点はここにあったんですね…
ベルトコンベヤーにする前は、人がレールの上をおしたり、引っ張ったりして次の所に送っていたそうな…彼のその考えは、食肉工場や羊毛の紡績工場を見ていて浮かんできて、車の組み立ても分業にして流れ作業にしたら大量生産が可能になるのではと考えたそうな…
そのおかげで大衆車として大ヒットしたT型フォードは現在の金銭価値にして30万ちょっと(2ヶ月分の給料相当)だったそうです…フォードはすごい人です。

でも、今もこの工場では結構たくさんの人がベルトコンベヤーの横に張り付いて作業をしています。
今時、全てがオートメ化されていても良いのに…少なくとも本田技研の工場ではもっとロボットが導入されていたのに…と考え、ふと気がついたのですが、もしかして 機械化=社員の削減 なんてことになったら日本より労働組合の圧力は大きいのかもと思ってしまいました…本当のところどうなのでしょうか?

テーマパークでは今でもT型フォードが動いていて、運転はできませんが誰でも乗せてもらえます。
我が家の子供らは助手席に乗せてもらい、ハンドルを握らされ、運転を少しだけしました。
何たってクラシックカーです、ハンドルを誤って、電柱につっこんだりして車をへこましたらどうしようか見ていて、とどきどきはらはらしました。


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エリー湖 [風物]

昨日、五大湖の一つエリー湖を見てきました。
そうだ、水平線の写真があるのでひとつ見て下さいませ。

湖なのに、水平線が見えるなんて、すごいです。
おまけに、見晴らしの良いところでは、水平線がほんのり弧を描いていて、地球の丸みを実感しました。
「最初に見た人はこれを海と思わなかったのかしら?」と夫に聞いたら、
「なめてみたら塩辛くないからすぐわかるだろう!」との答え、
言われてみればそうですねえ…
子供にも「泳いでみればすぐわかるよ、きっと!」と言われてしまいました。


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ナイアガラ [風物]

ニューヨーク、ヤンキーススタジアムで松井選手を応援した後、ナイアガラへ行きました。

ニューヨークでは日本のスーパーマーケット「ミツワ」のすぐ近所に宿を取りました。
これがすごく便利なんです。
ミツワはマンハッタンの対岸、ニュージャージー州のハドソン川のほとりにあるのですが、
このミツワの前から、タイムズスクエア近くのバスターミナル(41番ストリートと8番アベニューの交差点)まで1時間に2本程度、バスが通っているのです。値段は2ドル。

DC界隈でのんびり運転している私たちにとって、ニューヨークの中はとても運転が難しそうで不安でした。昔、マンハッタンのホテルの目の前で事故を目撃し、今回もやっぱり事故を見てしまいました。車はみんな我先にと走っていて、度胸試しみたいでとても怖いです。その点、このバスを利用すれば、マンハッタンの中を自分で運転する必要はありません。
マンハッタンに出てしまえば、地下鉄なりタクシーなり便利に使えます。

その上、夜はミツワで美味しい日本食のお弁当やお総菜等を買って帰って、ホテルで食べれば、安いし美味しいし、本当に幸せです。

さて今日は、そんなニューヨークを後にして、ナイアガラを見ました。やっぱりすごかったです。
怒濤のごとく流れる水と、そのためにもうもうと舞い上がる水しぶき…
なんだか、いまさらナイアガラ?なんて思っていたのですが、やはり来て良かったです。

その後カナダを通りました。カナダでは各家庭の庭先が小綺麗にガーデニングがしてあるのが目をひきました。やはりブリティッシュの影響を受けているからでしょうか。緯度が高く涼しいためか、花の色も鮮やかでした。

そして今日はデトロイト近郊に泊まります。実は今回の旅、「西海岸と東海岸だけ見て、中西部を見なかったらアメリカを知っているなんて言えないわ」と友達が英語の先生に言われたと聞いて、計画をたてました。

そこは、トウモロコシ畑と平野しかなく、地平線が見え、な~んにもないそうです。さて、地平線はみられるのでしょうか…


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