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ワシントンDC見物 [風物]

昨日、ムービングセール終了後、急いでDCに行きました。
目当てはかねてから行きたかったアメリカインディアン博物館。

これは昨年開館したスミソニアンでは今最もホットな博物館です。

中身はアメリカインディアンの部族とその装束、生活様式、工芸品の紹介と現在のアメリカインディアンのモダンアートの展示が中心でした。どの展示も芸術的に素晴らしいと思いました。特にビーズ刺繍を全面にあしらった衣装は素晴らしかったです。

アメリカインディアンの現在までの歴史を紐解くというよりは、ルーツを探ったり存在を再確認したりすることが目的のようです。急いで見たせいか、アメリカ開拓史における原住民の迫害についての展示は見当たりませんでした。

今のアメリカインディアンの人々がどのような暮らしをしているのか、私は良く知りませんが、ESLの先生から聞いた話では、豊かではなく色々な手助けが必要だとのことでした。しかし、映像や展示には、そのような雰囲気は感じられず、山奥の高地や寒冷地で美しい自然に囲まれ、自然と宗教を守り、近代化されながらも、素朴で美しい暮らしをする人々が描かれていました。

自然の厳しさが一層、その暮らしぶりを美しいものにしていました。しかし、その時ふと夫が独り言のようにつぶやいたんです。「元々はこの人たちもっと住みやすい平地に暮らしていたんじゃないか?追われて、今こういうところに居るんじゃないか?」って‥

美しいと思って見ていた映像が悲しいものに見えてきました。多分夫の言う通りだと思いました。住みやすい土地があるのにあえて住みにくいところに住む人はいません。さらに、彼らの顔があまりにも我々に近いので、なんとなく親近感が沸き、悲しくなりました。

このようになんとなく私にとっては落ち着きどころの悪い博物館でしたが、アメリカインディアンの人々にとっては、先ずはこのように存在感を高めていくことが大切なことなのだと思います。

映像紹介の中で最後に、アメリカインディアンの血を引く、オリンピック選手や、学者や、宇宙飛行士など、現在のアメリカで活躍する人々の紹介がされました。わざわざ紹介されるほどそれは珍しい事だと言っているようなものですが、このことが少しでも人々の勇気づけになるのならそれも仕方ないと思いました。

本当はこの広い土地の主だった人々‥
サンクスギビングはイギリスからの入植者が飢えて苦しんでいる時にアメリカインディアンが助け、そのお礼として入植者が開いた饗宴がもとで始まった行事だったはず。その頃は少なくとも彼らは受け入れる側だったのに‥現在、博物館でわざわざ紹介されるようになってしまったことはとても悲しいことだと思いました。

この日はついでにリンカーンの像とベトナム戦争の記念碑も見に行きました。

リンカーンの像では、息子に「人民のための人民による‥」を読ませました。
ついでに夫はモニュメントとリンカーンの像を結ぶ線は、かつての南軍と北軍の境界線なのだと説明していました。またリンカーンの像が後世も民主主義が保たれるよう、議会を見張っている位置に座していると説明していました。

そのモニュメント(オベリスク?)最近の大改装工事で、装甲車が来ても跳ね除けるようなすごい防御装置を装備したそうです。わたしは、巨額の工事費をつかって改装する考え方にちょっとついていけませんが、あれはどうやら威信をかけてアメリカ政府が守るべきものらしいです。

次に行ったベトナム戦争の記念碑では、黒い石の壁に戦争で無くなった兵士の名前が延々と書いてありました。7年前も見たのですが、今回良くみると、日系人の名前があることに気がつきました。名簿を調べると、田中さんや鈴木さん山根さんなどたくさんの日系人の名前を見つけ、胸が痛くなりました。グリーンカードを取得し、ゆくゆくは国籍をと願う人をときどき見かけますが、アメリカ国籍になるということはこういうことなのだと思いました。

日本にいても同じなのかもしれませんが、もし私がアメリカ国籍をとったことで息子にこのような事態が生じたら、またアメリカ国籍をとるといいからと子供をアメリカで産んで、その子が20歳でアメリカ国籍を選択し、こういう事態になったら‥と思うとやりきれない気持ちになります。

短い間に色々回りましたが、重たい一日でした。


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コメント 6

masa63

そうした博物館へ出向くと、今ある自由は尊い犠牲の上に成り立っているということ、また迫害、差別された人達の「自由への渇望」がいかなるものなのかを再認識できますね。日本でもアイヌ部族に対して同様のことをしていたのではないかと推測されます。問題はこうした歴史を知ることで二度と同じ過ちを繰り返さないということです。
by masa63 (2005-07-26 12:04) 

Mockingbird

tanamasaさんと同じことを私も思いました。
更に息子は、「日本の北海道に元々住んでいたアイヌの人たちと同じだね。その人たちは文字じゃなくて言葉で文化を伝承するから、いま、アイヌの言葉が喋れる人が少なくなって、文化が伝承できないらしいよ」と言っていました。

人口の少ない地域に人口の多い地域から人が移ることはこれからもおおいにありえます。その時元の人々の暮らしを尊重しながら「入れてもらう」気持ちで、平和に共存する方法を考えなくてはね、と子供に行っていますが、実際には迫害と行かないまでも不公平感が生じてしまうことが多く、難しい問題です。

この博物館は目に見える形で、このような問題を表現している。迫害を実際には語っていなくても、尊い文明の犠牲を知ることが出来るので、同じ過ちをおかさないための警告を無言のうちに語っていると思います。そのことについて訪れた人全てに気がついてくれることを願っています。
by Mockingbird (2005-07-27 04:16) 

kenta-ok

スミソニアン博物館群をみて、訪れた外国人はそこにある知識だけでなく、アメリカという国を理解して帰る・・・・ということだと思います。
by kenta-ok (2005-11-14 23:04) 

クロミ

初めまして。mockingbirdは’’To kill a mockingbird " からとってらっしゃるんですか。訳すと「マネシツグミを殺すには」なのに何故か邦題は「アラバマ物語」ですよね。まあ直訳すればいいものではありませんが・・・ 生きた英語に接する事ができるなんて素晴らしいですね。 
by クロミ (2005-12-11 12:25) 

Mockingbird

クロミさんコメント有難うございます。
お返事がおそくなりごめんなさい。
mockingbirdはアメリカの家によく来ていた鳥で、灰色の、ホオジロを大きくしたような鳥です。ホオジロみたいに良く尾羽を上下に動かしていました。とってもおしゃべりで、いつもうるさいくらいさえずっていたので、おしゃべりな私にぴったりと思い、この名前を使いました。
by Mockingbird (2005-12-20 22:31) 

Mockingbird

kenta-roさんコメント有難うございます
お返事遅くなってごめんなさい。
本当ですね、スミソニアンを巡ると実にアメリカと言う国がどのような考えを持っているのかが分かります。
by Mockingbird (2005-12-20 22:36) 

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